

新聞やテレビなどの既存メディアは時に「レガシーメディア」と呼ばれ、インターネット上のデジタルメディアとは異なる取り扱われ方をされることがあります。
本書では「デジタルジャーナリズム」ということで、インターネット上におけるニュースメディアに対し今後どうあるべきと著者であるジェフ・ジャービスが考えているかが書かれているわけですが、非常に刺激的であると同時に本当に考えさせられる本でした。
日本のメディアでも最初は米国での流れを受けて日経が有料課金モデルを作り出し、それを追うようにいくつかのメディアが同様のモデルを導入しましたが、本書では有料課金モデルに関しては非常に否定的な意見が書かれています。
それは元々アクセス数が非常に多いメディアでないと出来ないということと、有料ユーザが1%程度だったり、その有料ユーザの増加割合も非常に低くとどまるという事などが挙げられています。
本書ではジャーナリズムという言葉を以下のように定義しています。
広く定義すると、ジャーナリズムとは、「コミュニティが知識を広げ、整理するのを手助けする仕事」ということになる。そして、狭い定義では、ただ何かを知らせるだけでなく、何かを主張するのがジャーナリズムだと私は考える。
インターネット上では気軽にリンクを貼ることが出来る。そのリンクを貼る事によって、例えば言葉の定義部分はWikipediaに任せる事ができます。そういう意味で任せる部分は他ページに任せてリンクを貼り、ニュース記事ではより深い考察や市民の生活に良い影響を与えたり、市民の代わりに何か調べた結果を書くことで良い記事が作られるべきだと述べられています。
野球の結果を知らせ、地元のイベントや火事のことを報じるだけであれば、ジャーナリズムとは呼べないだろう。ジャーナリズムは世界を変えるものだ。
海外メディアの記事は最初の1~2段落が非常に無駄に思えてしまう事があります。その記事の前提となる事件や成り立ちなどが書かれており、「知ってることだよな」と思ってしまうのですが、もし仮に全部無くしてWikipediaまたは昔書かれた記事にリンクがされているだけだとしたらどうでしょう?
個人的にはそのほうが良いなと思いますが、もしかするとそのリンク先の記事を読んでいる人物かどうかがそのサイトで分かれば見せ方も変えられるのかもしれません。Googleのようなプラットフォーマーであれば、そのサイトだけでなく他のメディアも含めて、その記事内容に明るい人物か、そうでないかは分かるのかもしれませんが。
そしてその主張の延長として、例えば大衆紙がいくらスポーツ記事やエンタメ記事を載せたところで専門誌には敵わないかもしれませんし、大衆紙からその記事を省いたところで読者が全く減らない可能性すらあることを本書では触れています。
恐らく、可能であれば一つのネットワークの中にスポーツが得意なメディアやエンタメが得意なメディア、経済が得意なメディアなどを持ち、得意分野はその会社に完全に任せつつ各々のメディアが得意な良質コンテンツを生成することが重要なのでしょう。
このあたりは非常に考えさせられます。
日本のメディアと米国のメディアが全く異なるモノだからなのかもしれません。
日本では各メディアの記事がBtoBの取引で転載されていくだけで、酷い場合1メディアの記事が10媒体以上に転載される、そして個人のBlogや掲示板も含めれば、それ以上に転載されることも少なくないでしょう。
もちろんGoogleはオリジナルを優遇する…それにしても日本の場合は完全に転載され、恐らくBtoBで記事料が発生していると思いますが、その転載先で発生した広告売上などは運営媒体側に付いている事でしょう。
これでは記事数増やすために転載メディアを増やせば勝ちみたいな風潮になりかねませんし、現状そうなっていると言えるのかもしれません。スマニューやグノシー、Yahooニュースなどコンテンツをアグリゲートし、あくまでどんなニュースでも取り揃えている状態は結構異常な気もします。
GoogleはGoogle内で記事全文が読めるようなものではないし、あくまで媒体側に誘導するものとしていますが、この全取り揃え文化、確かに得意分野は他社に任せているとは言えるのですが、メディアの疲弊は止まらないビジネスモデルだなという気はします。
結局転載メディアがひたすら儲かるようなビジネスモデルではなく、書いたメディアや書いた人物がその価値に見合う収益を得るためにはどうしたら良いのか…。本を読みながら思ったのは、本書内でも触れられていますが、記事は1つでその記事をembed的に引用等を行うのはどうか。
転載メディアは別にジャーナリズムでも何も無いのでヘッダー・フッター以外は全てembedになってしまうのでしょうか。embedという点はちょっと引っかかりますが、常に書いたオリジナル記事が1つとしてうまく収益モデルが出来上がらないものかと思ったりしますね。
記事自体の「価値」の測り方も重要で、単純なPVではなく滞在時間やTTRといった記事の価値計測が重要となります。本書では広告の単価も枠ごとの注目度などを通じて決められるべきという立場が取られています。
幸いにも広告が表示されたかどうかといった指標が導入されただけでなく、「Intersection Observer」の導入によって、どれだけの時間その広告が見られたかなどの計測も容易になってきました。
それは広告の次の指標、品質指標になるでしょう。
また1記事ごとに閲覧するユーザが絞られる、例えば経済ニュースをよく見るユーザばかりが閲覧するものだと分かっているのならば、広告単価自体も高くなると予想され、その記事面から媒体が得られる広告収益は増える事などが考えられます。
そのあたりも今までのざっくりとした広告収益の考え方から、より詳細に記事ごとの売上やそれをみている人の興味関心あたりも分かるようになるかもしれません。
本書では「ジャーナリズム」に関する考え方が非常に興味深かったですね。特に
コミュニティに属する人々に体系立った知識を提供するのがジャーナリストの仕事ではないか
伝えた情報が市民、コミュニティのニーズを満たし、目標達成に役立つものでなくてはいけない。またジャーナリズムは、社会を改善させるツールとなるべきだ
といった部分。例えば朝日新聞なら朝日新聞としての主義主張があり、それに賛同する人たちのコミュニティというものが存在しています。そのコミュニティに対し、寄り添い、知識を提供しニーズを満たし、更には社会を改善させるツールとしての立場となること。
これは日本ではなかなか存在しないような気がします。
そういう意味において著者のジェフ・ジャービスは「サービス業たれ」と主張しています。
ジャーナリストは、人々が何かを言ってくるのを待つのではなく、皆の間で交わされている会話を聴き、その中から取りあげるべき問題を見つけ出すのだ。
コミュニティに寄り添い、コミュニティ側が知りたい情報をつかみその中から問題を見つけ出し、調査ののち記事化する。確かに「コミュニティ」という概念、よくよく考えてみればその通りで、特にテーマが絞られたメディアであればその「コミュニティ」色は非常に強いですよね。逆にコミュニティが絞られていない場合や、1記事ごとにテーマが異なるのであればコミュニティが存在しない、即ち人がそのメディアに定着しない事を意味します。
更にはこの「コミュニティ」に属する人がコミュニケーションする場をメディア側が提供することが重要だと説きます。
メディア企業もプラットフォームのビジネスに移行すべきだ。人々が情報を共有し合えるプラットフォームである。そこでは、コンテンツを配布できるだけでなく、誰かの作ったコンテンツに改変を加えることもできる。一般の人が提供した情報にジャーナリストがプロならではの価値を加えて再配布することも可能だ(もちろん、他のプロが作ったコンテンツに他のプロがさらに価値を加えることもできる)。コンテンツではなく、人間関係に基礎を置いたビジネス戦略に変える。
このあたりの独特な考え方、確かに次のメディアを考える上でとても重要な概念でしょう。
日本の転載文化や一般人が小銭稼ぎのために作られた数多のwikipediaを含む転載Blogを見ていると、海外と日本との違いが少し意識されます。
同時に2ch系Blogが流行る様子やYahooニュースのコメントの多さを見ていると、日本においてもこの「コミュニティ」概念をうまく取り込む事で、そのメディアが爆発的に流行る可能性すらあるのではないかと思うことすらあります。
medium的なコメント手法、海外だと昨年あたりに新しくなったWall Street Journalあたりが確か同様にコミュニティ取り込みに躍起になっているような印象ですが、メディア側も米国では苦心しているように見えます。日本では数年遅れでもこのような方向性に舵がきられる事になるのでしょうか。
メディア以外のウェブサービスを運営する方々。自分のメディアはどんなコミュニティに寄り添う必要があるか、そのコミュニティが知りたいと思っていることを本当に提供できているでしょうか?
ペルソナ・キャスト的概念と似ているのかもしれません。でも非常に重要ですよね。