本の余白に書き込まれた読者のメモであるマルジナリア。そのマルジナリアを通して見える世界を知ることができます。
その人がどんなふうにマルジナリアを書いていたか、何が(どこが)重要だと感じたのか、何度も読んだ本はどれなのか。
ある意味その人の思想の原点を垣間見ることが出来る。そんなものがマルジナリアです。
最近もっぱら電子書籍で発売されていない本は、すぐには飛びつかないと決めているのですが、読みたい本がいつまで立っても電子化されないことも多く、そのまま放置になってしまっておりますが、本書を読むと紙で読むのも悪くないなと思うと同時に、電子書籍でどうやったらマルジナリアを成長させることが出来るのだろうかと考えてしまいますね。
1冊1冊にユニークに付けられたIDもあることですし(?)、そのIDと本タイトル、段落番号からでもうまくメモを書き込んだり、お絵かきできたり(!?)したら良いんでしょうけどね。
[読了]超人の秘密 エクストリームスポーツとフロー体験
本書では必ずしも死に近い究極の経験が必要なわけではなく、そういった「リスク」というのは外的なフロー・トリガーでしかないといいます。
外的なフロー・トリガーとしては「多様性のある環境」と「深い身体化」が紹介されており、「多様性のある環境」とは「新規性、予測不可能性、複雑性が同時に存在する状態」とされている。「深い身体化」は全身の感覚入力すべてに同時に注意を払うということを指します。
逆に内的なフロー・トリガーはフロー理論で有名なチクセントミハイが挙げる3つ、「明確な目標」「直接的なフィードバック」「挑戦とスキルの比率」を紹介しています。
まず「明確な目標」について
一般的に、明確な目標を立てることは、作業の内容をはっきりさせ(そうすれば何をすべきかわかる)、その作業を信念と一致させる(自分がそれをする理由を理解する)ことに役立つ。しかし、[中略]いちばん重要なのは、明確な目標が注意力にどのように影響を与えるか、という点だ
と書かれていますが
強調すべきなのは「目標」ではなく「明確な」の部分である
とその後書かれています。それは単純に目標を立てただけでは肝心なところで注意が向かなかったり、チャンスを見逃してしまったりしてしまうので「明確」である点こそが重要だと説きます。
「直接的なフィードバック」は「原因と結果をその場で直接結びつける」と述べられていますが、原因と結果をちゃんと結びつけて、そのフィードバックのループは短ければ短いほど良いというものです。
このフィードバックループの短さと学習というものを上手く組み合わせているのが昔から言われていますが「公文式」ですよね。
「挑戦とスキルの比率」に関しては「挑戦のレベルがスキルのレベルを四パーセント上回る程度」という説明がされています。つまりスキルから大きくかけ離れたものではないということです。
これについては多少心当たりはあって「自分の知識なら出来るはずだ」と思っている事に取り組んでトライアンドエラーで挑戦している時は完全に時間の感覚がなくなったりします。
何となくフローというとアスリートにある特別な感覚という印象が強いですが、確かに時間を忘れるほど集中しているというと、そこまでの経験は少ないものの体験としてはある気がしてきます。
[読了]膨張GAFAとの闘い デジタル敗戦 霞が関は何をしたのか
積極的な議論はこれからということで、希望が持てるような気もしつつも、後手後手に回っていた過去や省庁間の対立、交渉力の無さ、問題意識の低さなど「なぜ?」と思う事も多く、様々な環境や意識が変わってきたとはいえ米国との関係など現状でも解決されていない問題もそのままだと感じると共に、さらに日本が変革していくのは難しいのではないかという気がしてならない。
「電気通信事業者」ではないからというような理由で規制されないから個人情報をどう利用しても良いというような論法を見ていると、全然関係ないけれども現在ウェブサイトまわりの実装の話で、今までは例えばAndroid 10を使っていたらとか、特定の端末を使っていたらみたいな切り分けでウェブサイトをどう見せるかみたいなことが考えられていたけれども、現在は特定のAPIが利用できる端末ならといった機能の利用可否によってウェブサイトの動きや見せ方を制御するように切り替わり始めた事を思い出した。
即ち「業法」的な概念で規制をするのではなくてFunctionとして規制していくと。それが現在の個人情報保護法に当たるといえば当たる訳ですが、最初のGoogleが「電気通信事業者ではありません」という事で逃れていた規制みたいなものは、早めに整えるべきであったことは間違いないように思う。もちろん「タラレバ」の話だが。
あと気になった事をいくつか。
・GoogleのThird Party Cookieブロックの延期がされたが、個人的にはかなりGoogleにはガッカリした。色んな批判はあるのは知っているけれども、少なくとも現状よりは改善の方向に向かったはずなのに。。。という話は置いておいて、確かに本書が指摘する通りThird Party Cookieをブロックすることは、よりユーザを多く抱えるプラットフォームに有利に働く事は間違いないのかもしれない。でもそれは別のアプローチでも破壊できるような気もする。
・ゼロレーティング問題はヒアリングや調査をして結果を見てから考えるというアプローチではなくて、ゼロレーティング自体が公平性に対し違反しているのであれば指摘をすべき事項だと思っている。明らかにゼロレーティング対象のサービスにユーザが集まることを助長しているだけなのに。。。また後手に回るだけなんだろうな。
・日本は科学より世論を重視するきらいがあると思っているが、Digital Wellbeing議論が日本で起こらない事やソーシャルゲームの射幸性が議論されないことも非常に問題だと思っている(射幸性という意味でパチンコ等も対象化されてしまうからなのか...)。なぜまわりばっかり見て未来を見ないんだろう。
・Google Analyticsの問題は業界の問題な気もする。僕は広告機能の有効化は基本的にはしないけど、やっぱりセミナーとかだと有効化するのが当たり前という風潮はある気がしている。(Tag Managerは関係ないよ)
・本書における最大の爆笑シーンだと思っているけど「338.56%」のところね
上場企業3680サイトのうち89.86%でGoogle Analyticsが利用されていて、広告配信ツールが62.72%で利用されていて...と続き...
トップ15位までのGoogleサービスの利用率を単純に足し上げると、338.56%になる。これは、日本のインターネットユーザーが上場企業のウェブサイトを閲覧すれば十中八九、自分の閲覧情報をグーグルに提供することを意味する。
の部分。「お、おう。。。」というか「なぜ足したし。。。」という事で、本書一番の爆笑シーンだと思っている。「これは、...意味するの?」。いや分かりますけどね。分かるんだけど、この部分全部要らないよね。
[読了]スマホ断食 コロナ禍のネットの功罪
一方でデジタル世界に対し私達がどう接すればよいのかという問題点は前から指摘される点でもあり、その点では「教育」という面では全く変化に追いつけずにいると言わざるを得ません。
昨今Digital WellbeingということでiPhoneにもAndroidにもスマホを使いすぎないように制御する仕組みが入っていますが、日本ではどこまで活用されているのか甚だ疑問です。メディアで取り上げられる事もあまりないような気もしておりDigital Wellbeingに対する教育や親がその事を十分に理解する必要があるのではないでしょうか。
スマホの使い方によって、もちろんプラスに働き自分の人生を豊かにし、学力向上の一助になることもあるでしょう。ただしそれは当たり前の事ですが全員に当てはまることではありません。特にフェイクニュースや炎上をより焚き付けたり、脊髄反射的に反応してしまうという「考える」という行為が薄れてしまう現象を見ると、それははネットの功罪なのだろうと思います。そのネットに気軽にアクセスできるスマホというタッチポイント。やはり付き合い方は考えたいところです。