[読了]超人の秘密 エクストリームスポーツとフロー体験

フローをエクストリームスポーツを通じて考える本です。
本書では必ずしも死に近い究極の経験が必要なわけではなく、そういった「リスク」というのは外的なフロー・トリガーでしかないといいます。

外的なフロー・トリガーとしては「多様性のある環境」と「深い身体化」が紹介されており、「多様性のある環境」とは「新規性、予測不可能性、複雑性が同時に存在する状態」とされている。「深い身体化」は全身の感覚入力すべてに同時に注意を払うということを指します。

逆に内的なフロー・トリガーはフロー理論で有名なチクセントミハイが挙げる3つ、「明確な目標」「直接的なフィードバック」「挑戦とスキルの比率」を紹介しています。

まず「明確な目標」について
一般的に、明確な目標を立てることは、作業の内容をはっきりさせ(そうすれば何をすべきかわかる)、その作業を信念と一致させる(自分がそれをする理由を理解する)ことに役立つ。しかし、[中略]いちばん重要なのは、明確な目標が注意力にどのように影響を与えるか、という点だ

と書かれていますが

強調すべきなのは「目標」ではなく「明確な」の部分である

とその後書かれています。それは単純に目標を立てただけでは肝心なところで注意が向かなかったり、チャンスを見逃してしまったりしてしまうので「明確」である点こそが重要だと説きます。

「直接的なフィードバック」は「原因と結果をその場で直接結びつける」と述べられていますが、原因と結果をちゃんと結びつけて、そのフィードバックのループは短ければ短いほど良いというものです。

このフィードバックループの短さと学習というものを上手く組み合わせているのが昔から言われていますが「公文式」ですよね。

「挑戦とスキルの比率」に関しては「挑戦のレベルがスキルのレベルを四パーセント上回る程度」という説明がされています。つまりスキルから大きくかけ離れたものではないということです。

これについては多少心当たりはあって「自分の知識なら出来るはずだ」と思っている事に取り組んでトライアンドエラーで挑戦している時は完全に時間の感覚がなくなったりします。

何となくフローというとアスリートにある特別な感覚という印象が強いですが、確かに時間を忘れるほど集中しているというと、そこまでの経験は少ないものの体験としてはある気がしてきます。

[読了]膨張GAFAとの闘い デジタル敗戦 霞が関は何をしたのか

未来はまだまだ暗そうだな...というのが率直な感想。
積極的な議論はこれからということで、希望が持てるような気もしつつも、後手後手に回っていた過去や省庁間の対立、交渉力の無さ、問題意識の低さなど「なぜ?」と思う事も多く、様々な環境や意識が変わってきたとはいえ米国との関係など現状でも解決されていない問題もそのままだと感じると共に、さらに日本が変革していくのは難しいのではないかという気がしてならない。

「電気通信事業者」ではないからというような理由で規制されないから個人情報をどう利用しても良いというような論法を見ていると、全然関係ないけれども現在ウェブサイトまわりの実装の話で、今までは例えばAndroid 10を使っていたらとか、特定の端末を使っていたらみたいな切り分けでウェブサイトをどう見せるかみたいなことが考えられていたけれども、現在は特定のAPIが利用できる端末ならといった機能の利用可否によってウェブサイトの動きや見せ方を制御するように切り替わり始めた事を思い出した。

即ち「業法」的な概念で規制をするのではなくてFunctionとして規制していくと。それが現在の個人情報保護法に当たるといえば当たる訳ですが、最初のGoogleが「電気通信事業者ではありません」という事で逃れていた規制みたいなものは、早めに整えるべきであったことは間違いないように思う。もちろん「タラレバ」の話だが。

あと気になった事をいくつか。

・GoogleのThird Party Cookieブロックの延期がされたが、個人的にはかなりGoogleにはガッカリした。色んな批判はあるのは知っているけれども、少なくとも現状よりは改善の方向に向かったはずなのに。。。という話は置いておいて、確かに本書が指摘する通りThird Party Cookieをブロックすることは、よりユーザを多く抱えるプラットフォームに有利に働く事は間違いないのかもしれない。でもそれは別のアプローチでも破壊できるような気もする。

・ゼロレーティング問題はヒアリングや調査をして結果を見てから考えるというアプローチではなくて、ゼロレーティング自体が公平性に対し違反しているのであれば指摘をすべき事項だと思っている。明らかにゼロレーティング対象のサービスにユーザが集まることを助長しているだけなのに。。。また後手に回るだけなんだろうな。

・日本は科学より世論を重視するきらいがあると思っているが、Digital Wellbeing議論が日本で起こらない事やソーシャルゲームの射幸性が議論されないことも非常に問題だと思っている(射幸性という意味でパチンコ等も対象化されてしまうからなのか...)。なぜまわりばっかり見て未来を見ないんだろう。

・Google Analyticsの問題は業界の問題な気もする。僕は広告機能の有効化は基本的にはしないけど、やっぱりセミナーとかだと有効化するのが当たり前という風潮はある気がしている。(Tag Managerは関係ないよ)

・本書における最大の爆笑シーンだと思っているけど「338.56%」のところね 
上場企業3680サイトのうち89.86%でGoogle Analyticsが利用されていて、広告配信ツールが62.72%で利用されていて...と続き...
トップ15位までのGoogleサービスの利用率を単純に足し上げると、338.56%になる。これは、日本のインターネットユーザーが上場企業のウェブサイトを閲覧すれば十中八九、自分の閲覧情報をグーグルに提供することを意味する。 

 の部分。「お、おう。。。」というか「なぜ足したし。。。」という事で、本書一番の爆笑シーンだと思っている。「これは、...意味するの?」。いや分かりますけどね。分かるんだけど、この部分全部要らないよね。


[読了]アーノルド・ベネットの賢者の習慣

目次だけを読んでも耳が痛くなるアーノルド・ベネットの書。
特に個人的には1章がが面白いなと思っていて、脳も筋肉と同じで鍛えるべきものであり、筋トレなら軽いものからステップアップするのに脳のことになると無理な計画を立てるとは如何なものかと。

確かにそうだよなと思いますよね。

[読了]スマホ断食 コロナ禍のネットの功罪

なくてはならなくなったスマートフォン、スマートフォンの保有率が高まりインターネットの世界がより身近なものとなり、従来の紙を媒介とした本や授業などは古く感じられるようになりました。デジタル礼賛といいますか、デジタル化することこそが重要という風潮ではありますが、そのデジタルの文化がよりリアル側にも侵入してきているように思います。祭りなどのイベント然り。

一方でデジタル世界に対し私達がどう接すればよいのかという問題点は前から指摘される点でもあり、その点では「教育」という面では全く変化に追いつけずにいると言わざるを得ません。

昨今Digital WellbeingということでiPhoneにもAndroidにもスマホを使いすぎないように制御する仕組みが入っていますが、日本ではどこまで活用されているのか甚だ疑問です。メディアで取り上げられる事もあまりないような気もしておりDigital Wellbeingに対する教育や親がその事を十分に理解する必要があるのではないでしょうか。

スマホの使い方によって、もちろんプラスに働き自分の人生を豊かにし、学力向上の一助になることもあるでしょう。ただしそれは当たり前の事ですが全員に当てはまることではありません。特にフェイクニュースや炎上をより焚き付けたり、脊髄反射的に反応してしまうという「考える」という行為が薄れてしまう現象を見ると、それははネットの功罪なのだろうと思います。そのネットに気軽にアクセスできるスマホというタッチポイント。やはり付き合い方は考えたいところです。

[読了]書くだけであなたの「強み」が見つかるノート

自分に問いかけて自分の「強み」を探るのではなく、「相手」を中心におき、その関係性の中から自分の「強み」を見つけていくというアプローチの本です。

一度「強み」を見つける旅に出てしまうと、なかなか帰ってこれず自己肯定感さえも失いがちですが、本書では相手をよく考える事、よく見つめ直す事によって自分だけの「強み」を明らかにしていくワークブックとなっています。

[読了]目標達成ハンドブック~セルフコーチングでモチベーションアップ

実践を重んじたモチベーション本です。

内容として真新しいものは無いかもしれませんが、セルフコーチングということで、内発的動機づけによる目標達成という意味合いから、コーチングの「質問」を使いながら自分で答えを見つけ、モチベーションを高めていくという流れとなっています。

本書はその「質問」が多く掲載されており、時々パラパラとめくって「質問」に対する答えを考えてみるという利用方法でも良いでしょう。

[読了]先延ばしと挫折をなくす計画術

習慣本です。
著者の野呂さんが「計画通り進まない」、「やっておけばよかった」などをどのように克服したかという部分で単純な予定表に埋める埋め方として「目的」を書く事というのが一つのポイント。その部分は早速取り入れたい。

自分も毎日細かな「やることリスト」みたいなものが少しあったりするけれども、"忘れないようにする"ことを目的としている程度のちょっとしたことが多くて、本書で書かれているほど細かく時間をきっちり決めて書いてはいない。

だからダラダラと時間を守らずにやってしまいがちなんだなと思った次第。
時間という枠を決めながら、ちゃんと進められるように自分の怠惰な性格と結果としての行動を少しずつ修正していこうと思う。


[読了]その悩み、エピクテトスなら、こう言うね。: 古代ローマの大賢人の教え

「人生談義」は途中で読むのやめてしまったけれども、もう一度読んでみようと思える本だった。「人生談義」は時々「結局何が言いたかったんだっけ?」とか「この発言は誰の発言だ?」と思った記憶。

とはいえストア派について、この本で触れることが出来たと同時にわかりやすい説明に助けられた。

まだちゃんと理解出来ていない事を承知の上で以下書くけれども...

本書を読んでいて最終的に今現代において「権内」の幅は本当に広がっているのだろうか?という疑問を持ちました。エピクテトスの時代においても例えば大工や当時の医者はいた訳で、もちろん現代に比べると技術だったり学問としての幅や深さはそこまで無いかもしれないけれども、その当時においても「権内」は心像の正しい使用のみとされている。

「権内」を自分でコントロールできる範囲、自分が選択できる範囲と捉えてしまうと、たしかに「権内」は時代とともに拡大しているのかもしれないけれども、やっぱり現代においても権内は広がっていないのではないか?という気もしなくもない。
神々は全てのうちで最も有力で肝要なもの、すなわち心像の正しい使用だけはこれを我々の権内においたが、その他のものはこれをわれわれの権内に置かなかった
少なくとも仮に手元のスマートフォンの地図アプリを利用して目的地に到達する事ができるという事象において、そのスマートフォンを活用すること自体を自分のコントロール下、すなわち「権内」と理解したとしても、結果が例えば時間通りに到着しなかったりするといったコントロール出来ない結果となる可能性があるのであれば、そもそも自分のコントロール下における選択とコントロールできない結果が結びついている状態というのは、果たして「権内である」と言えるのだろうか?と、うまく説明出来ないけれどもボヤッと感じたりした。

そして要約としての以下の文にも多少違和感が残る。
論理的に思考し(論理学)、正しく自然を認識した上で(自然学)、よく生きる(倫理学)
それまで散々「論理学」は現代の「論理学」とは異なる点を述べてきたではないか。なぜそこで現代解釈を当てるのか?と。

本書はストア派、エピクテトスについての入門としては最適ではあり、また平易に書かれている事から理解も進むけれども、対話形式が逆に論点や主張をボヤかしてしまっているような部分があるような気がします。